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雨の中、傘をささずに踊る人間がいてもいい。

体は社会人、心は自由人。三十路間近のネコ好き。日記や日々考えたこと、社会問題、ときどきサッカー。

「論理と感情のどっちが大事か」の答え的なもの

「感情と論理、どちらが大事?」という疑問が呈されることはよくあります。でも、そうやって比べるのは間違っています。

 

「そもそも、これらは比べるようなものではないんです」という話をしていきます。

 

さて、和歌山県で小学生の男の子が殺された事件について、こんな記事が出ていました。


ロジカルシンキングができない人々【論理よりも感情が優先される国】

 

和歌山県紀の川市で発生した小学5年生殺害事件の容疑者が逮捕された。週明けの本日、犯人逮捕後初の登校日を迎えたとのことで、以下のような報道が為されていた。

「事件の被害者が通っていた同学校の児童らはボランティアと警察官が見守るなか保護者同伴で登校しました。」

 まあ、よくある光景ですよね。それに対して、筆者はこう述べています。

ボランティアや警察官が見守る必要性はあまり感じられない。犯人が逮捕されていない危険な状況下であれば警護は当然のことだろうが、犯人が逮捕された後になっても、ボランティアや警察官が見守っているというのはどこかおかしくないだろうか?

「容疑者=犯人」というのは誤った認識であり、その点から多くの批判のコメントが寄せられています。まあ、そこもけっこう誤解されがちなので、筆者がそう記述しちゃったのも仕方ないし、そこを指摘しているコメントも間違いじゃありません。

 

しかし、僕が今回、気になったのは以下の部分になります。

この国では、至るところで論理や確率よりも感情だけが優先される向きがある。その感情論に敵対した意見は、どれだけの正論であろうとも、いつも感情論に否定される。どれだけ無意味な行動や対処であろうとも、感情こそが正義だと言わんばかりに。

ここで筆者は、「論理」と「感情」をあたかも対比している存在であるかのように述べています。

要約すると、

『犯人が捕まった後で地域を厳重に警備する意味はない。これは論理的に考えた結論であり、感情論である「なんとなく怖いから警備をする」というのは誤っている』

ということでしょう。

 

しかし、最初にも述べましたが「論理」と「感情」は対立するものではなく

  • 論理→目的達成のための手段
  • 感情→目的の源泉

という関係にあります。

 

僕たちが「何かをしたい」と考えるのは「論理」ではなく、「感情」です。「サッカーが好きだから、サッカー観戦に行く」、「彼女が好きだから告白する」、「納豆が嫌いだから食べない」と、どんな行動でもその出発点は「感情」です。

今回、「警察の警備など意味がない」 と述べていますが、それは「さらなる犯罪を未然に防ぐ」という目的もあれば、「不安に感じている市民を安心させる」という目的もあります

確かに、筆者が言うように、容疑者とされている人が真犯人であれば、さらなる犯罪は起きませんし、その点から考えれば警備を増強する必要はありません。

しかし、仮に容疑者が真犯人であったとしても、「僕たちの社会には、一定程度、通り魔に出会い、殺されるリスクがある」というのを目の当たりにしたとき、社会的な状況が何も変わらないとしても、不安になるのは自然なことでしょう。

そして、その不安を取り除くことも、1つの政府の役割です。

 

最終的には

どれだけ無意味な行動や対処であろうとも、感情こそが正義だと言わんばかりに。

というのが筆者の主張なんでしょうが、僕が筆者の立場なら↓のように論理展開します。

 

  1. 人々が不安を感じているのは理解できる
  2. しかし、真犯人である確率が高い容疑者が逮捕された
  3. つまり、感じている不安というのは、ただの漠然とした不安であり、実際に犯罪のリスク(実害を被るリスク)は変わっていない
  4. それに対して、警察の警備を増やすことによって、多額の税金が使われる
  5. どちらを選択するのが適切であるか

 

別にこの問題に答えを出す気はありません。

ただ、こうやって書くことでこういう問題に対する1つのアプローチ方法が示せた気がします。

 

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今日はこんなところでーす。でわでわ。

 

思考・論理・分析―「正しく考え、正しく分かること」の理論と実践

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