読書という父から受け継いだ趣味とイヤミスについて
僕はけっこう父親に似ている部分が多くて、理屈っぽいところとか、怒りスイッチとか、なんやかんや「似てきたなー」って感じることも多くなってきました。
そんな受け継いだ要素の1つとして、「読書」というのがあります。
父がどんな小説を読んでいたかは知らないんですが、僕も年を取るごとに徐々に読書をする時間が長くなってきました。
最初に読んだのは、中学生のときの江國香織さん。
その次は「冷静と情熱のあいだ」で男性のほうの話を書いた辻仁成さん。(女性のほうの話が江國さんでした)
高校生のときはほとんど小説を読んだ記憶はないですが、大学生のときか社会人になってから伊坂幸太郎さんにはまり、最近は湊かなえさん、東野圭吾さんを読み進め中。
高野和明さんとかも好きです。中山七里さんも。
最近はけっこうミステリーに寄ってますが、もともとは純文学も好き。
古典的なのは夏目漱石の「こころ」と太宰治の「人間失格」ぐらい。もっと昔のものも読みたいんですが。
小説って、いろんな人の人生を見ることができて面白いです。誠実な人もいれば悪人もいるし、その真ん中みたいな人もいて。
それと、上手い表現とか、かゆいとこに手が届く比喩とか見るとぞくっとします。そこがやっぱり映画とかドラマとかとは違いますね。
映画やドラマも好きなんですが、やっぱり文字での表現に心惹かれる自分がいます。自分で世界を作っちゃうんですよね。読んで、頭の中で想像して。ハリーポッターなんかも映画化される前から頭の中で映像化されてました。映画見ちゃうと自分の中のイメージが吹っ飛んじゃいますが。
ご都合主義みたいな小説も好きだし、湊さんみたいな「イヤミス*1」もすごく好きです。普通の人よりは後味が悪い作品が好きかなー。
「世の中、そううまくはいかんだろ」と思ってしまうときがあるんですよね。「努力がどドンピシャで報われる」ってことも、現実にはあんまりないじゃないですか。そういうのを表現してもらえると、物語としてはどうかなって思いますが、「この作品好きだなー」ってなりがちです。
桃太郎も、絶対きびだんご、2つぐらい無駄にしてますよ。犬にきびだんごあげて逃げられる、とか。
今日はこんなところでーす。でわでわー。
*1:後味がイヤなミステリーのこと