雨の中、傘をささずに踊る人間がいてもいい。

体は社会人、心は自由人。三十路間近のネコ好き。日記や日々考えたこと、社会問題、ときどきサッカー。

「古典を勉強する意味なんてない」をちびっとだけ擁護してみる

「割れ物注意な貧乏学生」というブログがあったんですが、「古典を勉強する意味がわからん」という主旨の記事を書いたところ、プチ炎上し、ブログを閉鎖するってことになりました。

 

で、「割れ物注意な貧乏学生」さんの疑問に対しての回答となるような記事もいくつか見られるんですが、またもや僕はちょっと違った視点から書いてみたいと思います。

 

目にしたブログの記事

最初に目にしたのはぜろすけさんという方の「無用の葉」というブログの以下の記事。

自分が古典を勉強して一番身に着いた能力は「未知の言語に対する姿勢」です。古語文法の知識や昔の人の考え方とかそういうのはまた別です。

「思ったことを思ったように言う」ことが「相手の言わんとしていることとすれ違う」ことを防ぐために、「現代文」という教科が存在するわけなのです。

言語感覚と言うのは「無意識の自分」と向き合うことです。そこで「これは間違っている」とか「これはとってもいい」とかその価値観を「無意識の自分」とすり合わせるのが一般的な「国語教育」のはずなのです。

国語教育についての雑感 - 無要の葉

※3つ目の引用だけ別の記事だったので、URLも入れておきました。

 

次に見たのが読者登録させてもらっている、ゆっこさんの「ミチクサダイアリー」というブログの以下の記事。 *1

「お母さん、どうして英語を勉強しなきゃいけないの?私、日本にずっといるつもりなのに」
「英語がわかるとね、英語で考える人の考え方がわかるようになるんだよ」
「そんなの別にわかんなくていいもん」
「映画や小説のキャラクターのバックボーンが理解できる、それだけでずいぶん楽しくなるもんだよ」

 

僕の感想

上の記事を書いた方々は恵まれてるな、って思いました、純粋に。

僕の通っていた高校は、いわゆる田舎の自称進学校で、古文や漢文も当然受けました。センター試験でも受けました。(ちなみに理系でした)

でも、授業で教えられることって、古文や漢文の細かーい文法事項や、試験で点を取るためのテクニックであって、なんの面白みもありませんでした。

ぜろすけさんは国語教育全般にも触れていて、

「思ったことを思ったように言う」ことが「相手の言わんとしていることとすれ違う」ことを防ぐために、「現代文」という教科が存在するわけなのです。

言語感覚と言うのは「無意識の自分」と向き合うことです。そこで「これは間違っている」とか「これはとってもいい」とかその価値観を「無意識の自分」とすり合わせるのが一般的な「国語教育」のはずなのです。

っておっしゃっていますが、僕はそんな授業を受けた覚えがありません。「無意識の自分とすり合わせるのが一般的な国語教育のはず」ですが、そんな国語教育を受けた記憶が無いです。

小説の読解でも、結局与えられた答えは1つしかなく、意見の多様性も認められなかったし、「割れ物」さんがどこかで書いているように、「小説の一部分を抜き取って心情を想像する試験とか意味あるの?」っていうのに同意してしまいます。

また、父や母に「これはなぜ勉強するのか」という質問ができる家庭でもなく、学校の先生の大半もそうでした。

 

ただ、高校のときの数学と物理、予備校講師の大半には良い思い出があり、それぞれの教科の魅力、どう役立つか、学ぶ意味、などを教えてもらった覚えがあります。

 

僕も学生時代は「試験のためだ」と割り切って勉強していました。そして、僕の見識の浅さゆえ、高校時代には勉強する意味が見出せない科目もあり、それらの時間は内職をすることもありました。

 

※ここでの「意味が見出せない」は「ここまでの時間をかけて勉強する意味が見出せない」を意味しています。すべての学問に勉強する意味があるのは理解していましたが、理系の僕が古文文法を週2時間も勉強する意味があるのか、センター試験でしか使わない地理を週2時間も勉強する意味があるのかと考えていました。いや、むしろ、教養という点から考えると、地理の1時間を日本史とかに回してほしかったです。まあ、そんなフレキシブルなカリキュラムは組めないんですが。

 

そして(他人のせいにしますが)、教師がもう少し魅力的だったら、僕ももっと楽しく、勉強していたのかなって思います。

 

「割れ物」さんを擁護するなら、

Twitterで「クソワロタwwwww」の代わりに「いとをかしwwwwww」って使わんでしょ!

って言わせるようなこれまでの古典教育が悪かったんだと思うんだけどな。

 

ってことでした!!

 

おわりに

すごーくまとまっていない記事ですが、簡単に言うと、公立の学校だと教師の当たりはずれって激しいよねって感じです。

そして、そう考えると「いとをかしwww」とか「連立方程式なんて何の役にも立たないお(ΦωΦ)」っていう人が出てくるのも仕方ないと思いました。

 

今日はこんな感じでーす。でわでわー。

 

追記

ちなみになんですが、文系だった方々は高校時代に週に2時間、生物を勉強していたと思うんですが、そういうのについてはどう思っているんでしょうか。

「生物楽しかったぜ!」「生物の授業から貴重な考え方が学べたわ!」「生物なんて今も昔も役に立ってないぜ!」

ってのが気になる今日このごろ。 

古典文法マスタードリル

古典文法マスタードリル

 

 

*1:ミチクサダイアリーさんは、僕が日ごろひっかかっていることを記事にしていらっしゃって、かつ2割ぐらい僕と違う意見が書かれている、という非常に僕にとって毎日でも読みたいブログとなっております。