雨の中、傘をささずに踊る人間がいてもいい。

体は社会人、心は自由人。三十路間近のネコ好き。日記や日々考えたこと、社会問題、ときどきサッカー。

背負っている荷物を降ろすという発想もありじゃないかな。降ろせない荷物なんてないと思う。

つい先日も書きましたが、別のブログで本の感想を綴っています。

この「あめおど」は毎日更新ですが、あちらはだいたい週3~4回更新を目標にしています。最近は全然更新出来ていないのは内緒。

 

さて、最近は湊かなえさんの本を狂ったように読んでいるんですが、「山女日記」という、いろいろな方が登山を通して、背負っている心の荷物を降ろしていくという短編小説が集まった作品があります。

 

この中で、以下のような表現があります。

人は大なり小なり荷物を背負っている。ただ、その荷物は傍から見れば降ろしてしまえばいいのにと思うものでも、その人にとっては大切なものだったりする。むしろ、かけがえのないものだからこそ降ろすことができない。だから、模索する。それを背負ったまま生きていく方法を。(P.290-291)

ここでは「大切なモノだからこそ降ろせない」と言っていますが、ときには「降ろしていいという発想にならないもの」、「降ろすには、自分と一体化しすぎてしまったもの」なども、なかなか降ろせない荷物の1つとしてあるなーって思いました。

 

僕はなぜか、「失敗できない」っていうメンタリティをなかなか降ろすことができませんでした。この「失敗できない」というのはすごく厄介で、失敗できないからこそがんばるというのはもちろんあるんですが、それ以上にチャレンジを止めてしまうことのほうが圧倒的に多いんですよね。

まあ、「失敗」をどう定義するかにもよるんですが、僕はそんなメンタリティのおかげで高校時代は分からない部分があっても、ほとんど先生に聞きに行くことができませんでした。

聞きに行くということは「授業で理解できなかった」ということを意味し、それは「失敗」に当たると考えていたからです。

 

ただ、大学受験に失敗してからちょっと変わった感じはあります。当初は望んでいなかった進学先で発想を転換し、かつ良い仲間と出会えたことで、むしろ積極的に挑戦していくことにしました。徐々にではなりますが、それまでは完全な非リアだったのに、とりあえず自分リア充にはなれたと思います。

いわゆる「今からオレ、合コン行くんすよ。先輩もどうです?」みたいなキャラではないけど、とりあえず人並にいろいろできるようになれたと感じています。 

 

こうやって、気づかないうちに何かの荷物を背負っていることって、誰しもあると思います。そういうのって、まあだいたいは降ろせると思うんですよね。「降ろせない」って自分で思い込んでいるだけで。

別に「荷物を降ろせ!」って言いたいわけじゃなく、「降ろすっていう発想もありじゃない?」っていうアドバイス的な話。

 

今日もまとまってないですがこんな感じでーす。でわでわー。