雨の中、傘をささずに踊る人間がいてもいい。

体は社会人、心は自由人。三十路間近のネコ好き。日記や日々考えたこと、社会問題、ときどきサッカー。

責任を取って辞めることが良いことだとは限らない。継続的に成長するには辞めないほうが組織にはいいかも。

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大きな組織なんかで不祥事が起きるたびに、代表者や担当者の責任が問われ、辞任に追い込まれるということはそこまで珍しいものではないと思います。

「責任をどう取るおつもりですか!?」

「辞任をするという考えはないんですか!?」

「総理の任命責任は!?」

といった感じですね。

 

いろんな人がいろんなところで「こんなことが起きたんじゃ、辞めざるを得ないよね」っていう主張をするもんで、世の中の多くはそれが当然のことだと考えているんでしょうか。ふむふむ。

 

でも、あまのじゃくなことで定評がある僕からすると、それって間違ってるんじゃないかなっていう感想なんです。

 

大臣の不祥事が明らかになったとき、首相はどうするべき?

最近もありましたよね。

大臣の不祥事が明らかになって、その大臣を任命した首相が責任を問われました。

そもそも国会議員として当選している方々は不祥事がない前提で当選しています。というか、黒い噂があるような人は国民も投票しないでしょうし*1、政党としても立候補を認めるのは難しいと思います。

つまり、首相が見るべきなのは大臣を務めることができる資質であって、不祥事がありそうかを見るものではないと思うんです。そんなのは国会議員になった時点でクリアしているのが当然なのだから。

また、記者の方々が一生懸命取材をして初めて明らかになるような不祥事をどうやって首相が見抜けるんでしょう。そして、見抜けなかった首相は、首相を務めるにあたって能力不足というんでしょうか。

首相に求められる能力は多岐に渡ると思います。他国との交渉、野党との折衝、官僚への的確な指示、先を見通す眼力等々。

なので、(安倍さんが上記能力を備えているかはともかく)首相が任命した一大臣の不祥事が明らかになったことによって辞任するというのは、逆に日本にとって損失なんだと思います。

 

アギーレ監督の任命責任に対して、日本サッカー協会はどうするべき?

こちらも最近話題になっていたやつです。無事にハリルホジッチという名将に決まったわけですが、アギーレ監督に八百長疑惑が持ち上がった時点で日本サッカー協会の責任が問われていました。

しかし、こちらも結果的に辞任せずに済んで良かったと思っています。なぜかというと、アギーレ監督が辞任してから、こんなに短期間で、その質にも妥協せず、良い監督に決まったからです。

ここで、会見に同席していた日本サッカー協会の霜田正浩技術委員長についても言及しておきたい。アギーレ前監督の契約解除が発表されたのが2月3日。そしてハリルホジッチの就任内定が霜田委員長の口から発せられたのが3月5日である。この間、ジャスト30日。アギーレ招聘(しょうへい)には準備期間を含めて実質4年を要したことを考えれば、驚くべきスピード感である。

新監督の就任はゴールにあらず|コラム|サッカー|スポーツナビ

 

 一方で、霜田委員長と前任者の原博実専務理事に対しては、アギーレ前監督の任命責任を問う意見も確かにある。だが、あの時点でもし技術委員会がリセットされ、それまで培われてきた経験とネットワークが寸断されていたら、今回のようなミッションコンプリートが実現しなかった可能性は高かったと見る。あくまで技術委員会の責任を問うのであれば、そうしたリスクに対する明確な対案を出す必要があるだろう。(同ソース)

ここに書いてあるように、豊富な経験があったからこそスピーディにハリルホジッチに決まったわけであって、辞任していたらこうはなってなかったかもしれません。

 

大切なことはその人の能力を見極めること

一つの運の悪い不祥事のせいで、本当に有能な人が辞任してしまうことになれば、組織にとってこのうえない損失になります。

大臣の辞任も、アギーレ監督の告訴も、どちらもただただ運が悪かっただけだと思っています。そんな運の悪さを理由に、「誰かを納得させるためにとりあえず辞任する」というのは何の意味も持たないんじゃないかな。

 

なんとなーく、世論とかを見ていて疑問に思いましたので、記事にしてみました。

 

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*1:例外はもちろんありますが