ハラスメントブームによって言葉が奪われた僕たちは
最近、いろんなところでいろんなハラスメントを耳にします。ハラスメントブームと名付けることにしましょうか。
そう呼んでしまっても違和感がないほど、ハラスメントの話題を耳にしない日はありません。
ハラスメントにはいろんな種類がある
世の中にはいろんな種類のハラスメントがあるようです。というか、分類分けをしていた方がいたので、そこから引用させてもらいます。
- セクシャル・ハラスメント
- パワー・ハラスメント
- モラル・ハラスメント
- カラオケ・ハラスメント
- アルコール・ハラスメント
- シルバー・ハラスメント
- ドクター・ハラスメント
- マリッジ・ハラスメント
- テクノロジー・ハラスメント
- リストラ・ハラスメント
- スクール・ハラスメント
- エイジハラスメント
- アカデミック・ハラスメント
- スモーク・ハラスメント
- ブラッドタイプ・ハラスメント
- ジェンダー・ハラスメント
- エレクトロニック・ハラスメント
- ラブ・ハラスメント
ということで、18個ものハラスメントが挙げられていました。それぞれの細かい説明はリンク先を参照してください。そして、リンク先にも書いてあるんですが、これが世の中にあるすべてのハラスメントではなく、リンク先の筆者も多すぎて調べるのが嫌になって18個で止めた模様。
気づかれるハラスメント、気づかれないハラスメント
こうやって見ると、かなり多くのものがハラスメントとして認識されているようですが、これもまだまだハラスメントの中のほんの一部なんだと思います。
これらは世間に認識もされているので、まだ救いがあるのかもしれませんが、世の中には可視化されていないハラスメントがまだまだ存在します。
最近では、「子どもが第一っていう考えを押し付ける」のは、昭和的な考えを押し付けているからハラスメントに当たるそうです。
そうすると「今どきは男性も料理ができないとダメ」というのも特定の価値観を押し付けていますし、「日本の男性はレディーファーストができていない!」っていうのもそういう価値観を押し付けていますよね。また、「体臭などによって周りの人を不快にさせる」というスメルハラスメントを指摘するのも、逆にその方の一部を否定しているのでハラスメントって言えると思います。
ハラスメントハラスメントとでも名付ければいいのかな。よくわかんないっすね。
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不快に思う人がいれば、すべて自粛すべき!?
女性から男性へのセクハラであったり、上司から部下へのパワハラなんかはけっこう世間の意識も高く、そういうのをあたかも正当化かのようなドラマやCMは批判される傾向にあります。
しかし、まだまだそういう意識が高くないもの(女性→男性のセクハラなど)については、依然として目にすることが多いです。
僕もそのうちの1人で、レディーファーストの話なんかを主張するタレントを見るとムカムカした気分になってしまうんです。ムカムカ。「前を歩いているほうが扉を開けて先に入ればいいじゃん」とか思ってしまうんです。
何がジェントルマンだ。そもそも「ジェントルマン」って言葉自体が、男性のあるべき姿を規定しているようで不快だ。
僕は偶然、父と母が健在で、かつ離婚もしていません。そんな僕は想像もできないんですが、孤児院で育ったような方はサザエさんを見ているとどんな気分なんでしょうか。中には心の傷を抉られる方もいるんではないでしょうか。表現の自由はかなり重いものなので、実際に法で規制するとかは無理な話なんでしょうけど、もっとルミネみたいに抗議があってもいいのではないかなーって思ってしまいます。
その結果、僕たちには何が残るのか
さて、そうして自粛していった結果、僕たちには何が残るんでしょうか。
僕たちの表現の自由はどこへ行ってしまったのやら。
確かに、公共の福祉に反するような自由が認められるわけはないんですが。
こういう問題は今すぐにどうこうなるわけではありませんが、10年後、20年後にはもっと厳しい世の中になっているかもしれませんね。
現実世界ではハラスメントがなくなっていって、逆にフィクションの世界ではハラスメントというか、いろんな描写が認められているといいな、将来も。