雨の中、傘をささずに踊る人間がいてもいい。

体は社会人、心は自由人。三十路間近のネコ好き。日記や日々考えたこと、社会問題、ときどきサッカー。

部活の補欠制度ってなんなの?ただ苦しいだけじゃない?

珍しくサッカーの解説者であるセルジオ越後さんに賛同する記事がありました。

ちなみに、セルジオさんは日本サッカーの発展に大きく貢献した方で、解説者となった今も無駄に(必要以上に)辛口なんですが、心の底では愛を持ったうえで批判を繰り返しています。

そんなセルジオさんが言うことは厳しすぎることが多くて、個人的には賛同することが少ないんですが、今回読んだ記事は思わず「そうそう」と言ってしまいました。

 

部費を払っているのに、試合をさせてもらえない。サッカーで言えば、日本サッカー協会に登録料を収めているのに、サッカーを楽しむ権利を奪われている。これって、スポーツの観点からすれば、考えられないことです。

日本人は「補欠」をすぐに美談にしますよね。「あの子は3年間、試合に出られなかったけど、練習を1日も休まず頑張った」なんて褒めるけど、3年間ボールを磨いて、スタンドから応援するのは、スポーツではありません。

このままでは、日本はW杯に出られなくなる | 東洋経済オンライン 

 

不思議なのは、個人種目は同じ学校から何人も出場できるのに、団体種目になると1校から1チームしか出られないこと。だから、たくさんの補欠が生まれることになる。1校から何チームもエントリーできるようにすればいいじゃないですか。あるいは、試合に出られない選手は、出られそうなチームに移れるようにすればいいじゃないですか。(同ソース)

 

日本人ってなぜか分かりませんが、苦労したことをやたらと評価したりしますよね。人生なんて楽しく生きたもん勝ちだし、スポーツなんて試合に出てナンボです。試合をやってこそ意味があります。

本当であればそういう無駄に苦労している人や試合の機会が与えられない人をどうするか考えていかなくてはならないのに、「補欠でもがんばったことは素晴らしいんだよ」という風に問題から目を背けているような気がします。

3年間ボール拾いしかさせてもらえなかった人が野球を好きになるでしょうか。そんわけはありません。

 

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スポーツにしても勉強にしても、その楽しさを教えるのが学校の役目だと思うんですよね。確かに、目先の受験というのを考えると、内容を詰め込んだり、理解させるのに強く指導したりすることも必要ですが、人生が80年も続くことを考えると、スポーツの楽しさ、勉強する喜びを実感させたほうがよっぽど良い人生を送れるはずです。

 

苦労することも時には必要ですが、もっともっと人生を楽しむ方向に考えてもいいんじゃないのかな。