雨の中、傘をささずに踊る人間がいてもいい。

体は社会人、心は自由人。三十路間近のネコ好き。日記や日々考えたこと、社会問題、ときどきサッカー。

戦争反対と叫んでる人たちは本当に真剣に考えているのか

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昔からずっと疑問だったんです。

マスコミが大々的に報じる紛争、虐殺には異を唱えるのに、なかなか報じられない紛争や虐殺、もしくは経済制裁などの目には見えにくい他国の民の被害などには関心を持つことさえしない人たちに。

そして、「戦争反対!」と叫び、そう叫ばない人たちを批難し、明日には忘れてしまう人たちに。

 

 

イラク戦争について

もうずいぶん前のことなんですね。時間が流れるのは早い。「光陰矢の如し」とはまさにこのこと。

2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロからの流れで、イラクに大量破壊兵器が隠されているとしてアメリカがイラクに攻撃をしました。日本でも多くの人が反対の声を上げ、新聞等にも大きく取り上げられていたことは、当時を生きていた人なら覚えていると思います。

確かに、軍事的暴力を行使すればダイレクトに人が死にます。疑いなく、直接的に人が死んでいきます。イラク戦争でも多くの人が亡くなったことでしょう。そのことに心を痛めること自体は何の不思議もありませんし、僕も同じ地球に生きる人間として心を痛めています。また、それを止めようとすることにもまた、共感します。

しかし、それまでのイラクの状況を調べてみると、これもなお、悲惨な状況だったようです。少し長くなりますが↓のサイトから引用します。

現在、アメリカによるイラクへの攻撃が行われている。攻撃が始まった当初から、イラクの市街地などへの爆撃とその中で住民が死傷しているということが連日報道されているが、イラクには、湾岸戦争以後現在にいたるまでの12年間、「フセイン政権への制裁措置」として国連による経済制裁が行われてきた。しかしその「制裁措置」の「効果」とはどのようなものだったのだろうか。それは何よりもイラクに住む人々の生活に大きな打撃となった

この12年間で、栄養失調や医薬品の不足などの経済制裁が原因とされる死者は100万人以上といわれている。そしてその半数以上が5歳以下の子どもである。イギリスの医学専門誌(「ランセット」)の調査によれば、イラクの5歳以下の乳幼児死亡率はイラン・イラク戦争の1980年代には減少していたのに対して、湾岸戦争直後91年にはそれ以前の1000人あたり43.2から128.5人と3倍増となり、95年には5倍にまで激増した。また、ユニセフの統計でも5歳未満児の死亡率は2000年時点で1000人あたり130人であり、この数字はアフリカ諸国とならんで世界でもっとも高い。

以上に見たとおり、国連経済制裁は、何より、イラクの人々の命を奪い、生活を破壊してきた。まさにイラク民衆に対する大量虐殺が「国連」の名によってあたかも正当なことであるかのように行われてきたのである。

経済制裁によってその国の経済が悪化し、薬などが手に入りにくくなり、何の罪もない人たちが死んでいくことは、間接的ではありますが武力行使と何ら変わらないと僕は思っています。

経済制裁ともなると、国と国の話であり、「国家とは何か」、「政府とは何か」、「世界の平和を維持するためにはどうすればいいか」などの難しい話もあると思いますが、少なくとももっと疑問が呈されてもいいと思うんですよね。

 

新聞に「戦争反対!」の意思表示をするために金を払う人はいますが、「経済制裁反対」と言うために金を払った人はいるんでしょうか。

 

北朝鮮について

庶民が最も経済制裁の影響を受けることを目の当たりにしてきた。制裁を併行しながらも人道支援は行うとアピールする国もあるが、それは正しくない。実際に、私が進めていた庶民の生活改善につながるプロジェクトがいくつもダメになった。人道的に最も支援が必要な庶民の生活が困り、逆に圧力を与えようとする指導層にはなんら影響がないのだ。まさに人権問題を経済制裁が作り出しているとも言えるだろう。

↑は北朝鮮に経済制裁しても体制は崩れない | 韓国・北朝鮮 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準から引用しています。

北朝鮮の問題は、日本という立場からするとイラク戦争の話よりももっと複雑であるということは分かっています。

しかし、やはり上のような記事がもっと目に触れてもいいはずだし、もっといろんなところで議論がされてもいいと思うし、されるべきだと思うんですよ。

 

みんな、そんなに本気で考えてない

インターネットでほんの少し調べるだけで、上のような記事は出てきます。

僕は、世の中がある方向に向かおうというとき、途端に不安になります。本当にその流れが正しいのかどうか。

イラク戦争当時は次のように思っていました。

正義の反対はまた別の正義であり、正しい戦争なんてものはなく、戦争とは悪である

しかし、発展途上国の人たちが多くの不満を抱えているのも事実ではないか。

世界の一部の先進国の人間が富を貪り、西洋諸国の論理を世界に押し付けてきたのではないのか。

われわれ日本人は、その加害者側に、今、立っているのではないか。

何が原因か。何が理由か。

この世界で苦しむ者たちの何がわがままで、何が正当な要求なのか。

「戦争反対!」と叫ぶだけで戦争がなくなるなら苦労しません。

「貧困撲滅!」と叫ぶだけで貧困がなくなるならどんな素敵な世の中でしょう。

「○○反対!」と叫ぶのはすごく簡単です。簡単に自分の中の「何かしたい」という欲求を満たすことができます。

ある人は募金活動に走るかもしれないですし、またある人は署名運動を呼びかけるかもしれません。紛争が行われている現地に行って取材活動を行う人もいますし、政治家を目指す決意をした人もいるでしょう。

しかし、そんなのはほんの一握りにすぎません。

メディアが報じるほど、僕たちは見ず知らずの他人のことなんて真剣に考えていないんです。

 

まずは近くの人を助けよう

僕たちは、小学生のとき、第二次世界大戦の話を聞き、戦争は悲惨であるということだけを教え込まれてきました。「とにかく戦争は悪いんだ」という考えが根付くのはいいんですが、もう一歩踏み込んでほしいんです。

 

「経済制裁によって、薬が手に入らなくなったらどうなるかな?」

「確かに暴力はダメだけど、それなら兵糧攻めは許されるの?」

とかいう話もできますし、まさに日本国内の話であれば、

「戦争といじめってどう違う?」

「日本の企業では労働基準法が無視されて、自殺するまで働かされてる人もいるけど、それって殺人とどう違うの?」

という問いかけもできるはず。

 

それを日常レベルまで落とし込んで

「クラスでいじめが起こったらどうしよう?」

「道で迷っている人がいたら、どうするのがいい?」

という問いかけをすることもできます。

 

そもそも、海を越えた他国の話をする前に、自分が働いてもいないブラック企業の話をする前に、自分の隣にいる人を助けるために全力を尽くすべきなんだって。

クラスの誰かがいじめられていたら助けてあげるべきだし、道に迷っている人がいるなら案内をしてあげればいい。

自分のすぐ近くで困っている人が助けられないで、遠くにいる赤の他人を助けられるわけがない。

まずは自分の手の届く範囲で、自分の手で包み込むことができるだけの手助けをすることから始めないと。

 

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まとめ

  • 自分も含め、人間って、自分や家族、友人以外の人のことをそこまで考えられない。
  • でも、戦争とかは嫌だから、とりあえず「戦争反対」と叫びたい。
  • この世から戦争をなくすには、ものすごく地道で、果てのない努力が必要。自分自身の一生を捧げても、砂漠にコップ一杯の水をまくようなものかもしれない。
  • だから、「戦争反対」と叫ぶことは、ただ自分の欲求を満足させるためでしかない。
  • 僕は人間ってそういうものだと思っている。仕方がない。自分の生活の方が大事だから。
  • でも、それでも世の中を良くしたいなら、まずは身近な人を幸せにすることから始めないと。