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雨の中、傘をささずに踊る人間がいてもいい。

体は社会人、心は自由人。三十路間近のネコ好き。日記や日々考えたこと、社会問題、ときどきサッカー。

「花束を君に」が素晴らしい理由は歌詞のバランスにあった

雑談

桜の花

トピック「宇多田ヒカル」について

 

この曲のために朝ドラを録画し、オープニングだけ見ています。

宇多田ヒカルさんの「花束を君に」。

何回聞いても飽きませんね。

今日はこの曲について書いていきます。

 

「花束を君に」というタイトルだけを見ると、どちらかというと「おめでたいのかな?」というイメージも抱きます。

「愛を込めて花束を」は結婚ソングですし。

でも、そんな歌ではないんですね、今回は。

 

 

まずは簡単に(?)歌の解釈を書いていきます。

簡単に書くつもりがかなり長くなってしまいましたが(笑)

 

出だしの部分

いろいろなところで書かれていますが、これはお別れの歌ですね。

歌の出だしから考えると、死別をイメージさせます。

普段からメイクしない君が薄化粧した朝
始まりと終わりの狭間で
忘れぬ約束した

というのは納棺の前にする化粧のことを指していると思います。

普段はメイクをしない君が、最後の最後で薄化粧を施されています。

 

また、君と過ごした時間を「始まりと終わりの狭間」と表現しています。

君と過ごした時間はおそらく短くはないと思います。

何年、何十年の付き合いだったんでしょう。

その何年、何十年も、終わってから思い返すと「狭間」でしかないほど、短い時間に感じられるということです。

人が死ぬ瞬間にそれまでの思い出が走馬灯のように駆け巡るとは言いますが、大事な人が亡くなったときもそう感じるのかもしれません。

 

そして、多様な解釈ができるのが「忘れぬ約束」とは何か。

これが非常に難しい。

まあ、人それぞれ、自由に解釈をしていいんでしょうけど、宇多田さんがどういう思いをここに込めたのかが読みづらい。

 

「言葉にできない」のはなぜか

歌の全体を通して、主人公は「言葉にできない」ということを言っています。

どんな言葉並べても 真実にはならないから

 

言いたいこと 言いたいこと

きっと山ほどあるけど

神様しか知らないまま

サビのこれらの部分からは、主人公が「伝えたいことはあるけど、言葉にすることができない」もしくは「言いたいことはあるけど、言ったところでそれが実現しないから言わない」といった解釈ができます。

前者であれば、言葉にしたところで自分の気持ち、感謝が完全に表現できるわけではなく、真実を表現できるわけではないってところ。

後者であれば、例えば、

抱きしめてよ、たった一度 さよならの前に

という言葉を口にしたところで真実にはならないっていうことを指しているのかな。

個人的には後者の解釈の方が歌詞の全体がつながるのが好きですが、前者の解釈でも不自然ではありません。

 

また、「抱きしめてよ、たった一度」というのは文字通り、「最後にもう一度抱きしめてよ」という解釈もできますし、「たった一度すら抱きしめてもらえなかった、最後ぐらい、たった一度抱きしめてよ」とも取れますね。

 

前向きな主人公

そして、確かに「抱きしめてよ、たった一度」と言いつつも「涙色の花束」を贈っているので、主人公は確実に悲しんでいるんですが、最後の最後でこう言っています。

どんな言葉並べても

君を讃えるには足りないから

今日は贈ろう 涙色の花束を君に

僕はここから、「君は交通事故などで突然亡くなったのではなく、老衰もしくは病気で前々から死期が訪れることが分かっていた」と解釈しました。

交通事故などで突然亡くなった場合は、「君を讃える」余裕なんてないし、ましてや比喩であっても「花束を君に」贈る余裕もないと思うんですよね。

曲の雰囲気もそうなんですが、主人公はある程度、君の死を受け入れているような気がします。

 

「忘れぬ約束」って何?

曲の全体の解釈を書いて、改めて「忘れぬ約束」ってなんだろうと考えてみました

「忘れぬ約束」ってなかなかないですよね。

僕自身、誰かと約束をしたことはありますが、「忘れぬ」ってなるとかなり重いものになります。

 

朝ドラとリンクさせるならお父さんが常子に託した「代わりにととになってほしい」という約束なんでしょうけど、僕は最初は「結婚の約束」だったのかなとも思いました。

 

若いころに結婚の約束をしたけど、結婚することは叶わず、正式なプロポーズもできなかった。だから最後まで渡せなかった花束を今、渡そう。

 

そんな場面を想像したんですが、最後の部分からは君を讃えるために花束を渡しているように見えるんで、プロポーズ解釈論もなんか違う気がしました。

ということで結論は出ませんでしたが、またなんか思いついたら追記しましょう。

 

そういえば、君を讃える理由っていうのもなかなか解釈が難しいですね。

君が何か立派なことを成し遂げたから、讃えようと言っているのか、一般的な意味合いで故人を讃えると言っているのか、もしくは主人公にとっては讃えるべき人物であったから讃えるのか。

 

感想

やっぱり宇多田ヒカルはすごい、という感想です。

なんでなんでしょう。

「君の笑顔が僕の太陽だったよ」なんて、今どきは中学生ポエマーでも使わない陳腐な歌詞ですが、この曲全体から見ると自然なんですよね。陳腐に見えない。

「抱きしめてよ、たった一度 さよならの前に」というのもありきたりすぎです。


でも、これらが自然と耳に入ってくるし、違和感もなく、むしろ曲全体がストレートに表現していない分、「ここだけは!」という意図が見えます。

 

「花束を贈る」という行為は理性がないとできません。

人は人であるゆえに、「花束を贈る」という表現を用いて、感謝なり、好意なりを示すことができます。

なので、花束を贈ろうと言っている歌詞が入っている部分では自分の気持ちを抑えているんだと思います。理性を保っているんだと思います。

しかし、最後のサビに入る前に「君の笑顔が僕の太陽だったよ」、「抱きしめてよ、たった一度 さよならの前に」といったかたちで主人公の正直な気持ちを描き、やっぱり心の中では狂おしく悲しみ、同時に感謝をしているということが伝わってきます。

この歌詞のバランス、表現がすばらしいなと思いました。

歌唱力は言わずもがな。

彼女の声を聴くと、他の歌手の声は聴けないぐらいの力を感じてしまいます。

 

君を飾る花を咲かそう

そういえば、「死別」、「花」といえば、GARNET CROWの「君を飾る花を咲かそう」を思い出します。


GARNET CROW「君を飾る花を咲かそう」

 

この曲も、死にゆく君への歌で、「死期が宣告されている君は数えきれないやさしい想い出を残してくれた。そんな君が、それらを包むほどの甘い香りに見送られるように、君を飾る花を咲かそう」と歌っています。

 

花というのは不思議ですね。

人間にとって、DNAレベルで何か訴えるものがあるんでしょう。

大事なとき、それがおめでたいときであっても、悲しいときであっても、僕たちの人生には必ず登場します。

入学式や卒業式における桜もそうですし、退職される方へ贈る花束も。

プロポーズのときも花束を贈りますし(人による?)、棺にはひとりひとつの花を入れます。

花には何か、言葉では言い表せない気持ちを伝える力があるのかもしれません。

 

まとめ

真夏の通り雨の感想も書きたかったんですが、思ったより長くなってしまったので、それは次回に書きたいと思います。

宇多田ヒカルさんがパワーアップして帰ってきてくれて、非常にうれしいです。
気が早いようですが、次回作も楽しみですね。

 

以上、本日もあめおど管理人がお送りいたしました。