雨の中、傘をささずに踊る人間がいてもいい。

体は社会人、心は自由人。三十路間近のネコ好き。日記や日々考えたこと、社会問題、ときどきサッカー。

学歴がなくても幸せにはなることもあるが、親は学歴の重要性を知っておかないといけない

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最近、学歴に関する記事をいくつか読んだので、学歴とかへの考えとかをまとめておきたいと思います。

僕の目に留まったのは次の3つの記事。

「いまの日本では、大学くらい出ておかないと幸せになれない」は幻想。90年代『自分らしさ』的個性尊重主義は、いまこそ再評価されるべき

高卒でも人生困らない自分に大卒の重要性を理解できない理由がわかった

学歴がない人が学歴社会を否定してるとモヤモヤしてしまう。小中学生の時何してたの?

このあたりを読んだ感想を書いていきますが、①へ②が言及し、②へ③が言及したという関係になっています。

 

「学歴社会」であることは誰も否定できない

医者になったりするには大学を卒業しないといけなかったりするので、そういう特殊な職業は除きますが、今の日本が「学歴社会」であることは誰も否定できないと思います。

中卒、高卒、大学卒で就職する際の窓口が分けられ、待遇や出世するスピードも異なり、中卒や高卒の人が大学卒の人よりも上に行こうとするには、かなりの努力が必要となってきます。

また、これは厳密には「学歴」というより「学校歴」と表現するべきですが、Fランクの大学と東大や京大を比べると、ここにもまた大きな壁が立ちはだかっています。

 

生涯年収などを見てみても明らかに学歴と相関関係があるのが見られますし、今の日本が「学歴社会」であることには異論はないと考えます。

 

「学歴がなくても幸せ」は負け惜しみではない

さて、この社会が学歴重視で回っているという話をしましたが、じゃあ、その中で生きる僕たちはそれをどう捉えるべきで、どう捉えて生きているのでしょう。

この社会において学歴が重要な要素であるとして、そこに生きている僕たちにどう作用しているのでしょう。

 

「学歴があれば幸せになれる」も「学歴がなければ幸せになれない」も、どちらも誤りです

なぜなら、あくまでも「学歴」は僕たちの人生にとっては、単なる一要素にしか過ぎないからです。

学歴(というか、高校までの学力)が、人生の可能性を広げることは確実です。

しかし、あくまでも可能性が広がるだけであり、それで幸せの切符が手に入るかというとそんなこともありません。

学歴があっても幸せではない人もいるでしょうし、学歴がなくとも幸せな人もいるでしょう。

①のブログのタイトルになっている『「いまの日本では、大学くらい出ておかないと幸せになれない」は幻想。』というのは、「負け惜しみ」とかそういう部類のものではなく、純粋な①のブログ主さんの感想だと思います。

なぜなら、仮に高卒であったとしても、そこそこの給料をもらい、一生を添い遂げる伴侶と出会い、子どもに恵まれ、大きな苦労もなく暮らしていけているのであれば、それで幸せを感じることはできるからです。

 

誰かと比較して感じる「幸せ」とは

「人生の目的とは何か」というのは掘り下げると非常に難しいテーマだとは思いますが、とりあえず「幸せになること」を目的(目標?)であると考えたとき、異常に学歴社会にこだわっている人は、誰かと比較するのが癖になっているんではないでしょうか

確かに、学歴そのものが比較しやすいステータスですし、学歴と大きな相関関係がある収入も数字そのものなので、比較しやすいものです。「勝ち組」とか「負け組」とかいった言葉を当てはめやすいものですね。

 

でも、幸せってそういうものではないと思うんです。

「自分が満ち足りたと思うかどうか」が「幸せ」にとっては、もっとも重要なんではないでしょうか。

正直、比較してしか幸せを感じられないというのは、なかなか難儀な性格だと思います。自分の隣にいる人より勝っていても、結局は東大主席の人には敵いませんし、その人もマサチューセッツ工科大学主席とかハーバード大学主席の人には勝てないでしょう。

収入に関しても、その人が「何をどこまで欲しいか」というのと大きく関係してきますよね。学歴と同じで比較するとキリがありません。

誰かと比較して感じる幸せではなく、自分が好きなことをし、好きな人に囲まれ、好きな仕事ができていて、「ああ、これが幸せなんだな」と感じている状態が、本当の「幸せ」と呼べるものなんでしょう。

 

でも、親は学歴の重要性を知っておかなければならない

学歴がなくても幸せになれるというのは間違いないですが、それはあくまでも「学歴がなくても幸せになれることがある」というだけであり、やっぱり学歴があったほうが幸せになれる可能性は高くなります

↑では、「比較する幸せなんて本当の幸せじゃない!」とか書いて、あたかも「学歴不要!収入も少なくていい!」と主張したように見えたかもしれませんが、そういうことが言いたかったわけではないんです。

なぜなら、学歴があったほうが人生の可能性が広がりますし、収入が多いほうが豊かな生活が送れます。

単純に幸せになる確率が高くなるということです。

 

ここまで散々「学歴なんてなくてもいい!」とか、そういう主張をしてきましたが、それは「大人になったあなたが幸せを感じているのなら、学歴なんていらないよね」という意味でしかありません。

大人になった僕たちが学歴とどう向き合うかというと、そこには「どういう学歴かではなく、あなたは今幸せか」という向き合い方しかありません。

 

さて、ここでなぜ「親は学歴の重要性を知っておかなければならない」と書いたかというと、そうでないと子どもに学歴の重要性が伝わらないからです。

学歴というのはあくまでも人生の一要素であり、それだけで人生が決まるものではありませんが、一方で人生の一要素であることは確かです。

また、日本は学歴社会でもありますので、学歴があったほうが確実に有利です。

大人になってから「学歴なんて不要!自分らしさ大事!」と思うのはいいんですが、子どもへの教育という面から考えると、「自分らしさ」だけでは不十分です。特定の職業に就くには大学卒という肩書が必須だったり、もしくは実質的に必須であるという社会であるからです。そして、子どもがどんな職業に就きたいかというのは、中学、高校でじっくり考えるものであって、小学生のうちに決まってしまうものではありません。


⓷のブログ主のガイさんは

じゃあ、学歴社会ってわかっていながら小学生中学生高校生と勉強をしてこなかった理由って何なんでしょう?小学生で親に勉強しろって言われませんでした?先生に勉強は大事って教わりませんでした?良い大学に行けば良い会社に入れる、医者や弁護士は勉強しなければなることはできないって最低でも中学生だったらわかりますよね。

と書いていますが、

一方で②のブログ主のポジ熊さんは

大卒の重要性は「大卒が重要になる環境」に置かれなければ理解が難しい

とも書いています。

僕はポジ熊さんの意見に賛成していて、経験していない物事の本当の価値を知るのは、なかなか難しいものです。

確かに、中学生ぐらいになるとおぼろげに世の中のことを知っていき、学歴が大事なんだということに気づきだす一方で、テレビでは「学歴なんてなくてもいい!」という主張がもてはやされたり、もしくは親が「学歴なんてなくてもいいんだよ」と言い続けていたとしたら、どうなるでしょう。

自分の周りは全員が中卒で、中学を出たら働くのが当たり前の環境で、その当たり前に疑問を持てる子どもがどれぐらいいるでしょうか。

 

人間なんて、そうそう強い生き物ではありません。

10年後の自分のために、実感のない重要性をモチベーションにしてがんばれるかというと、そんな子どもはかなり少数派だと思いますし、そんな子どもばかりであれば、イチローや中田英寿であっても凡人扱いされるような社会だったでしょう。

僕自身の子ども時代を思い返しても、「日本は学歴社会だから」とか考えて勉強していたわけではありませんし、周りの友人たちも同じだったと思います。

勉強自体が楽しい部分もありましたし、時には親や先生から強く言われることもありました。高校生になっても、将来のためというよりは、勉強すれば模試の成績が上がり、成績優秀者として全国に配られる冊子に載ることをモチベーションに勉強していました。

 

僕の話

僕の両親は高卒で、特に大学についての話をされたことはありませんでした。ただ、「高校を出たら働くものだ」とも言われてはいなかったので、それはよかったと思います。

小学生のときにそろばんを習い始め、算数が得意になり、中学校では田舎の公立中学で学年一番になり、その頃から大学を考えるようになりました、というか逆に「大学に進学するものだ」と思うようになりました。

その後は田舎の進学校に進学し、一年の浪人を経て、大学へと進学しました。

 

僕も高校生から浪人の時はかなり学歴にこだわっていましたが、いろいろあってその思考から解放されました。

僕の最初のターニングポイントは本命大学の受験日1日目で、本命大学の受験は2日に渡って行われるんですが、1日目の試験が終わった瞬間に落ちることを確信しました。

数学の出来があまりにもひどくて、ホテルに帰ってから放心状態だったのを今でも覚えています。

そして、その夜に当時仲の良かった友人と電話で久しぶりに話し、「本命大学には落ちるかもしれないけど、がんばってきた自分」というのを受け入れられるようになりました。

あとは、大学生活であったり、就職先とかであったり、いろんな部分で周りの人に恵まれ、今となっては完全に学歴コンプレックス自体から解放されています。

思い返してみると、必要以上に学歴にこだわる心理というのはただ生きづらくさせるだけでしたが、中学高校で勉強に励み、大学受験時にかなり多くの大学を選択肢に入れられたのはよかったと感じています。

 

まとめ

僕が正しいと主張するのは

  1. 日本は学歴社会だ
  2. 学歴があったほうが、可能性が広がり、幸せになる可能性が広がる
  3. 自分が大人になった後は学歴がどうというより、いかに自分が幸せを感じるかを考える必要がある
  4. しかし、子どもに対しては可能性を狭めないためにも、学歴の重要性を教える(実感させる)必要がある

といったところです。

※ただ、④も行き過ぎるのはダメで、「学歴が絶対!」という教育を行うと、後々、挫折したときなんかに苦労することになります。

 

ちょっと学歴の記事を連続して読んだので、自分の考えをまとめてみました。

 

反省

なーんか、自分の考えをまとめてみると、いつも当たり障りないところに着地してしまうことが多いです。

「学歴がすべて!」とも思っていませんし、「学歴なんて不要だ!」とも考えていません。だから、こんな記事を書いてしまうんですが・・・。

たまには読者を煽るような釣りタイトルの記事を書いたほうがいいのかなとも思ったり思わなかったり。

 

以上、本日もあめおど管理人がお送りいたしました。