雨の中、傘をささずに踊る人間がいてもいい。

体は社会人、心は自由人。三十路間近のネコ好き。日記や日々考えたこと、社会問題、ときどきサッカー。

正解を求める教育と選挙の関係について

青空と絵描き

7月10日、参議院議員選挙の投開票が行われました。

「与党が改憲の発議に必要な3分の2以上の議席を確保できるか」とか、「18歳、19歳にとっての初めての選挙」など、様々な話題がありました。

 

結果としては与党が3分の2を確保したかしてないかぐらいという状態なので、どちらにとっても痛み分けってところでしょうか。

 

さて、今日はこんな記事を見て思ったことを書いていきます。


 

日本の教育の特徴

特にソースも示さず書いていきますが、日本の教育の特徴として「1つの正解を追い求める」というものがあります。

 

少し前にCMでやっていたのを覚えているかもしれませんが、例えば、日本の場合は「1+3=?」、「5+2=?」というように、それぞれの計算の唯一の正解を求めさせるところ、外国では「A+B=7」というように、「足して7になる組み合わせを考える」といった問題が出されていました。

 

また、外国に比べて比較的、大学入試等での論文などの扱いもまだまだ低いですし、ディベート教育などもほとんど形だけやっていることがほとんどかと思います。

 

つまり、日本の教育の特徴としては「1つの答えを求めさせる」「正解を発表させる」といったところに重きが置かれている印象です。

ちょっと違う角度から見てみると、「間違ってはいけない」という意識を植え付けているようにも感じます。

 

1人1票と民主主義

さて、本題の選挙の話ですが、現在社会は民主主義を基礎としており、その根幹を司る選挙においては、1人に1票が与えられています。

「1票の格差」とか「在留外国人の投票権」などの諸問題はありますが、これまでの歴史と比べる限りは、十分、民主主義的であるといえます。

そして、民主主義とは「正解を探し出す」ものではなく「最大多数の最大幸福を実現しようとする」ものです。

少数派をないがしろにすることが正しいとは言いませんが、あくまでも「多数決」というのが民主主義の原則です

そして、多数決を行うために一人に一票が与えられており、そこに「正しさ」は求められていません。

その与えられた一票を行使するもしないも自由ですし、誰に、どんな理由で投票するかも指図されるものではありません。

 

「握手してくれたからこの人に投票しよう」でも、「なんとなく好きになれないからこの人はやめておこう」でも、投票する人を決断する理由は何でもいいんです。

 

そして、その決断のまとまりこそが民主主義の結果というわけです。

求められるのは「民主主義」であって、「正解」ではありません。

 

「投票」とは「生き方を選ぶこと」に通じる

僕は「投票する」ということは「生き方を選択する」ことに似ていると考えています。

確かに「望ましい生き方」は比較すればあるかもしれませんし、「生き続ける限り人を殺し続けるぜ!」という生き方は間違っていると思います。

 

しかし、常識的に考えれば、自分の生き方を決めるのは自分であり、そこに正しいも間違っているもありません。

あるのは「自分がどう生きたいか」ということだけです。

生き方に正解がないように、誰に投票するのかも正解はありません。

自分が投票したい人に投票すればいいだけなんです。

 

「正解じゃないといけない病」

ここで最初の教育の話に戻りますが、紹介した記事ではこのように書かれていました。

情報収集と言えば、テレビとインターネットが主になるとは思うが、どこを見ても「何が正解」なのかが全く分からない。

これは特にネット上で見られる事なのだが、政治を完璧に理解出来ていないものが何かを質問すると叩かれる風潮がある。

以前、某タレントが「国の借金は増えていっているのに、何故公務員の給料はあがるのか?」とTwitterで呟いていた事があった。

それに対して、周りから総叩きにあっていたのである。

日本の教育の特徴である「正解を求めること」って、選挙に大きなマイナスになっていると思います。

「正解」については、上で書いたように正解なんてないんだから、選挙において「何が正解か」なんて考える必要はありません。

自分の生き方を選ぶように、自分のやりたいようにやればいいだけです。

 

また、仮に間違ったことを言ったからといって、批難されるようなものでもありません。

これは政治に限らず、どんな分野でも「にわか」が批判されるように、その分野が成熟するにつれて、新規参入するハードルがどんどん上がっていくんですよね。

 

日本の政治なんて、戦後から数えてももう70年になります。

その間、政治に関する議論が多く交わされてきていて、どんどん成熟している中で、20歳の若者がポーンと参加しても、何かできるかというと、なかなか難しい部分はあります。

だから、20歳の若者が正しい判断ができないことなんて当たり前ですし、むしろ、もっと年配の人が間違うことですら、別に批難されることではありません。

 

しかし、最初に書いたように、やはり日本の「正解じゃないといけない病」のせいで、投票率が低くなったり、政治離れが進んだりするんだと思います。

 

まとめ

僕は21、22歳ぐらいのときから欠かさず投票していますが、投票しないことを批判するつもりはまったくありません。

投票するのは権利であって、義務ではないからです。

個人的には、過去の人たちの努力によって得られた選挙権を無駄にはしたくないと思っていますし、「与えられたんだから、行使しとけ」ぐらいの理由しかなく、その理由を押し付けるつもりもありません。

ただ、投票率を上げるのであれば、もっと教育現場で「正解がない問題」に取り組ませ、政治に参加するハードルを下げる必要があるのかなと思っています。

 

 

以上、本日もあめおど管理人がお送りいたしました。