「お客様は神様だ」がなくなって困る人たち
「お客様は神様だ」という言葉は日本人なら聞いたことがあると思います。
今では、『貧乏神なら間に合ってます』とか『ほかの神様に迷惑です』という返しが見られるように、この言葉自体が揶揄される対象ではありますが、それでもこういう信念を持って生きている人はまだいると思います。
そんな「お客様は神様だ」という考えがなくなって困る人たちについて考えてみました。
考えるきっかけ
この記事を書くきっかけとなったのはこちらのトゥゲッターのまとめを読んで。
日本人は働きすぎっていう人、コンビニが夜11時に閉まったら怒るんだろ?電車が1時間に1本だったら怒るんだろ?デニーズ行って30分待たされたら怒るんだろ?Amazonが土日休みだったら怒るんだろ?蛇口ひねって水が出てこなかったら怒るんだろ?すぐ怒る人が沢山いるから皆休まないんだ。
自分だったらどうだろう。
コンビニが11時に閉まっても別に困らないかな。
電車が1時間に1本だったらそれはそれで、それに合わせて行動するかな。まあ、満員になるのはちょっと嫌だけど。
デニーズ行って30分待たされたら注文が通っているか確認したくなる。
Amazonが土日休みでいいけど、蛇口ひねって水が出てこないと嫌かなー。
でも、まあどれであっても怒りはしないですかね、困りはしますけど。
24時間働いてきた人たち
働くことに生きがいを見出し、過剰な労働・サービスを当然だと思っている人たちは、その過剰な労働・サービスを相手にも求めることになってしまいます。
なぜなら、彼らにとってそれは「過剰」ではなく、「当たり前」ですから。
今までサービス残業を当たり前のようにしてきた、もう定年退職した人たちにとっては、今の世の中は許せないかもしれません。
その人たちが現役のときは先輩も社会も上司も助けてくれなかったんですから。
今の世の中を「不公平だ」と思ってしまうかもしれませんね。
「俺たちはこんなに苦労してきたんだぞ!」
「俺たちは理不尽なことを言われても、頭を下げ続けてきた!」
という思いを持っている人もいるでしょう。
苦情が多いのは「60代」である
苦情を最もよく言う年代は【60】代である
これについては、「若者は昼間は働いているから、苦情を言う暇もない」という解釈もできますが、個人的には「自分たちがサービス残業当たり前で働いてきて、お客様は神様という感覚を持っている」っていう要因のほうが強いと思います。
知恵袋にはこんな書き込みも見られますね。
「お客様は神様だ」がなくなると困る人たち
もし、今、「お客様は神様だ」という考えがなくなり、完全に客と店員の立場が同じものになったとき、一番損をするのは最近、定年退職をした方々です。
なぜなら、彼らはさんざん納得がいかないことでも客に頭を下げ続け、ようやくそこから解放され、逆に理不尽なクレームで頭を下げさせる側に回れると思ったのに、それが許されなくなるからです。
店員の7割はサービス過剰
三十路に片足を突っ込んでる僕からしたら、日々接している店員の7割はサービス過剰、2割がちょうどいい、1割が不真面目っていう感じです。
「別にそこまで丁寧にしなくてもいいのに」って感じることが圧倒的に多いですね。
「おもてなし」はいいんですが、僕はそういう過剰なサービスを受けると息苦しい気分になってしまいます。
「おもてなし」に慣れていないせいかもしれません。
まとめ
確かに、これまで苦労してきた人たちのことを考えると、いきなり「客と店員は対等なんだ」という価値観を持ってこられても混乱するかもしれません。
「俺たちの今までは何だったんだ!」と感じるかもしれません。
まあ、そうは言っても、個人的にはもっともっとサービスは簡素化していってもいいのかなと思っています。
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