教師は聖職者でもないし、世間は多くを求めすぎな件。親の当事者意識とブラック体質について。
みなさんは「教師」に対してどんなイメージをお持ちでしょうか。
もしくは、「教師」に対してどんなものを求めるでしょうか。
最近は教育に求めるものが多くなってきているのか、もしくは価値観が多様化しているゆえに親が教師に求めるものも多様化しているのかは分かりませんが、「教師とはこうあるべきである」とか「もっと○○をしてほしい」という要望がよく見られる気がします。
今回は「教師のあり方」について、激しく同意できる記事があったので紹介させていただきます。
記事の紹介
この方はPTAの役員をしているようで、ほかのPTA役員の言っていることにいろいろと疑問を持っているようです。
ざっくりと記事の概要を紹介すると、
PTAのほかの方々は
- 教師は機械じゃないんだからマニュアル通りだけでは困る。
- もっと子どもたちひとりひとりの個性を見てそれをのばすような教育をすべきだ。
- 子どもを教育する聖職者としての自覚をもって接してもらいたい。
- 最近の先生はビビりすぎてマニュアル通りにしすぎだ。
というようなことを言っていますが、このブログではそれらの意見に対して、
結局は、子どもの個性を伸ばすのは親の役目だし、教師にあれこれ求めすぎても仕方ないし、逆に教師がでしゃばりすぎて個性を潰すようなことをするのは止めてほしい。
むしろ、公立の学校であれば、ファミレスのように「どこに行っても一定の質の同じような教育が受けられること」をしっかりと保証してほしい。
と意見しています。
親の当事者意識
僕も世間が教師にいろいろと求めすぎている部分を感じているんですが、そこに「当事者意識の欠如」を感じてしまいます。
確かに子どもの生活の中心は学校かもしれません。学校で学ぶことも多いでしょう。
しかし、それは「時間的な中心」であって、「心の中心」は常に家庭にあります。
一般的には人が成長する過程で教師から受ける影響よりも、両親から受ける影響の方が大きいでしょう。
ここで紹介されている発言を見ていると、自分が関わっていることとは思えないんですよね。
実際にはここでの方々は高い当事者意識を持っているうえで、たまたまこの発言が取り上げられただけかもしれませんが、それでも世間一般にそういう風潮があるのかなと感じてしまいます。
家庭の役割とは
最近では
- 朝ごはんを用意できないから学校で食べさせてほしい
- はしの持ち方を教えてほしい
- モーニングコールをしてほしい
といったような要望も親から出てくることがあるそうです。
僕が子どものときからは考えられないなと思ってしまいますが、もしかしたら先生方は影でこういう無茶振りにも対処していたのかもしれません。
いずれにしても、前提としては「家庭」があってこその「学校」なんですよね。
そして、「学校」とは結局、集団生活のルールを教え、他人との接し方を学び、各教科の勉強をするためにあるのであって、それ以上のことは各家庭で行うしかありません。
また、各教科の勉強以外については、「学校」は補完的な役割しか果たせないかもしれません。友人を傷つけたら謝らないといけないですし、何かしてもらったら感謝の気持ちを伝えなければなりません。
これらは他者との付き合い方という側面では「学校」でも教えることかもしれませんが、当然、「家庭」でも教えるべきことです。
日本人のブラック体質
「親としての当事者意識が欠如している」と書きましたが、それと同時に日本人のブラック体質が教師への要求を大きくしているのかもしれません。
それは「お前らはプロなんだから、ちゃんとやれ」というもので、必要以上に供給側に求める体質のことです。
「お客様は神様」という言葉が広まり、客側がそれを拡大解釈している例はよく見かけますが、教師に対しても同様だと思います。
たかだかちょっと大学で勉強したぐらいで子どもの扱い方が分かるでもなく、経験を積んだからといって何でも完璧にこなせるわけではありません。
画一的な製品を扱うのとは違い、毎年毎年違う生徒を受け持ち、対応していかなければなりません。
1クラス30人だとして、いったいそれぞれ生徒の個別対応をどこまでできるでしょうか。
冷静に考えればいくらプロフェッショナルであったとしても、できることとできないことがありますし、教師も人間である以上、人並みの生活(仕事上の過度な負担をかけない)を追求する権利があるはずです。
一部、夜回り先生とかそういう人生のすべてをかけて教師をまっとうしている人もいますが、みんながみんなそうなれるわけでもないですし、そうなる必要もありません。
飲み屋の店長が30日間ぶっ続けで働いているからといって、誰しもがそういう働き方をする必要はないのと同じです。
まとめ
紹介した記事の最後はこのように締めくくられています。
モンスターペアレントの問題も、教師への過度な期待が原因だと思います。
「教師なら聖職者としてこうあるべきだ!」
という期待が学校をつまらなくしています。
確かに教師の中にもニュースになるような生徒の服のにおいをかいだり、いじめに荷担するような変人も紛れています。
しかし、そのような変人はごくわずかで多くの教師がぼくたちと何ら変わりのないごく普通の人間です。
ごく普通の人間に聖職者としての過度な期待をするから精神的に参ってしまう教師が増えてしまうのではないでしょうか。
僕も書かせていただきましたが、教師も「ごく普通の人間」なんですよね。
野球選手の全員がイチローになれないのと同じで、サッカー選手の全員が本田圭介になれないのと同じで、「夜回り先生」みたいな教師はすごく特別な存在です。
「すごく特別な存在」を基準にするんじゃなく、また、「子どもの教育の根幹は家庭にある」ということを忘れずにいなければなりません。