学生時代に学んだことを活かせていない?教育の目的を考えてみる
『学生時代に学んだことなんて、社会に出てから何の役にも立たない』
と、世間の大人が言うのをよく聞きますね。子どものころにそう大人が言っているのを聞いたこともあれば、同級生がそのように言っていたのを聞いた覚えもあります。連立方程式が何の役に立つのだ。スイヘイリーベとか覚えてどうするんだ。小学生レベルの国語と算数だけでいいよ。そんなことがよく言われますよね。
これは、豊かになったからそんなことが言われているんですかね?江戸時代の寺子屋から始まって、集団で学ぶというシステムが出来上がっていますが、よく途上国の子どもたちが「勉強したい」というのは、学んでいないから、なんですかね。彼らも学校や受験という枠に閉じ込められると「勉強なんてしたくないぜ!!」ってなってしまうんですかね。
さて、本題に入ります。タイトルの件です。
教育は可能性を広げるためにある
義務教育がない世界を想像してみてください。家の手伝いか何かをして過ごしています。もしくは、お金を持っている家の子どもは私立の学校に通っているかもしれません。でも、あなたは学校には行かずに家の手伝いをして、成長していきました。15才になったとき、医者になりたいと思いました。……詰んでますよね。下地もない人間がいきなり医者になりたいと言っても、かなり困難なことでしょう。
こうやって考えると義務教育という、基本的にはどんな職業にも対応できるようなシステムは素晴らしいと思いませんか?
いつ将来を決めるの?…今!!…はまだ早いんじゃない?
まあ、能や歌舞伎をやる家に生まれたとか音楽一家で育ったとかでない限り、将来の職業を決めるのってなかなか難しいですよね。確かに、高校生になった段階で確固たる夢を持っている人、例えば料理人を目指す人なんかはそういう専門の学校に行っていると思います。そもそも、大学進学率が良くも悪くも50%を超えて、それだけの人口が20歳以降(大学選択時と考えるなら17~18歳)に職業を選択する以上、 やっぱり可能性は持たせてあげたほうがいいと思うんです。
だから「学んだことが活かせてない」と考えるんじゃなく、「学んだことが活かせる未来もあったが、自分は選択しなかった」と考えるべきではないでしょうか。一見、目に見えて成果が出ていないと無駄なように思えますが、「可能性の創出」という点から考えると、一見無駄なことの意義が見えてきますよね。