加害者への私刑といじめについて~理由があれば許されるのか~
先日、少年法の見直しと投票年齢の関係について記事にしました。
今日は主にネット上での犯罪加害者への私刑といじめの関係について、です。
理由があるいじめ
いじめ、というのはいろいろな定義があると思いますが、とりあえず学校で多数の生徒が1人の生徒に暴行をしたり、暴言を吐いたりというのを想像してください。
さて、いじめをする人たちの中には(ネット上にも)こう言う人もいます。
『いじめられる側にも理由があるんだよ』
例えば、「先に殴りかかってきた」とか「前にあいつがいじめの主犯だった」とか「サッカーの試合でミスをした」とかとか。
まあ、サッカーの試合でミスをしたとかは微妙ですが、「前にいじめの主犯だった」というのはもっともらしい理由ですね。
因果応報とでも言いましょうか。一見、正当化されたように見えますね。
ネット上での犯罪加害者への私刑について
今回、神奈川県川崎市で痛ましい事件が発生し、その容疑者とされる方の写真等々がネットに流れています。
まあ、容疑者であって犯人であると確定したわけではないという問題もありますが、ネット上では彼のプライバシーよりも「ひどいことをしたんだから、これぐらいは許されるだろ」という雰囲気での拡散というか、私刑が目につきます。
「正義の名のもとに、法律で守られている容疑者を制裁しよう」と感じですかね。
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本当に許されるのか
これら2つの共通点は「対象に落ち度があり、いじめられる/ネットで晒される理由がある」というところです。
上にも書きましたが因果応報ってやつで、「悪いことをしたんだから、これぐらいはいいだろう」ということです。
しかし、よく考えてみてほしいのは、僕たち一般市民には何の権利もないということです。僕たちはあくまでも法律のもとで許された権利を行使することしかできません。
いくらそいつが悪人であろうと、裁き、罰を与えるのは、しかるべき手続きを経たうえで、国家にしか許されることではありません。
いくら、前にいじめをしていたからといって、その人をいじめることは許されないです。
いくら、人を殺したからといって、実名を拡散するのは許されることではないです。
そして、もし「加害者が法律で守られすぎだ」という認識があるのなら、法律を変える努力をすべきであって、法律を無視するという行為が許されるものではないです。
僕がいつも違和感を覚えるのはここです。
「落ち度があれば何でも許される」的な雰囲気を、特にネット上ですごく感じています。そうであるはずはないのに、堂々とそういう意見をしている方を見ると首をかしげてしまいます。
まとめ
感情的には分かるんです、批難したり晒したりっていうのは。それでも僕たちは所詮、一人の人間でしかなく、神様でもなんでもないんですよね。裁いたり罰したりって行為は慎重な手続きのうえでしか認められていない以上、もう少し、感情を抑えたほうがいいのかなって思っています。
今日はこんな感じでーす。でわでわー。