騒音規制の対象から外れた子どもの声。子どもの声が嫌いな人が悪いのか?
子どもがのびのびとした環境で元気に育っていくことを願うのは、多くの親にとって共通の望みだと思います。僕もまだ子どもがいるわけではありませんが、子どもが元気に遊んでいる声などが聞こえると微笑ましい気持ちになります。癒しの音楽です
一方、家の近所に保育園などがあり、日中ずっと子どもの声が聞こえてくるような状況だとまた違った感想を抱くかもしれません。特に、夜勤をしている人で、昼間に睡眠を取ざるを得ない人にとってはその人の生活、健康に関わる大問題にもなりかねません。
隣の部屋からの大音量であれば壁ドン(話題になっている壁ドンではなく、本来の意味での壁ドン)で威嚇をすることができますが、近所の保育園ともなると壁ドンして得られるものは手の痛みだけですし、直接威嚇をしに行けば、逆に国家権力に威嚇をされることになります。
東京都が子どもの声を規制の対象から外す
東京都議会は3月27日、本会議において「子どもの声」を都の騒音条例の数値規制の対象から外す東京都環境確保条例改正案を全会一致で可決した。これによって保育園、幼稚園、公園などで子どもの遊ぶ声や一緒にいる保護者、保育士などが発する声について違法であるかどうかは、"受忍限度論"によって判断されることになった
もともと、子どもの声が騒音条例の対象であったとかそういう話ではなく、除外する対象に含むのを忘れていた(もしくはトラブルになることが想定できなかった)というところでしょう。何はともあれ、全会一致で規制の対象から外すことが決まったようです。
全会一致というのは耳あたりが良さそうで、一方、本当に都民の声が反映されているのか?と思ってしまいます。
子どもの声を嫌う人が悪いのか?
上記引用はこのページからしてきました。
この記事のタイトルは個人的には少し煽っている印象を受けてしまいます。
子どもの声に不満を持つ人の中には単純に子どもの声が嫌いだという人もいれば、上述したように夜勤などで睡眠を取らなければならないにも関わらず、それが邪魔されることによって迷惑だと感じている人もいるでしょう。
嫌いなものは嫌い、好きなものは好き。
ゲテモノが好きな人がいるのと同じように、誰もが好きだと思っているものが嫌いな人もいます。生卵なんて、世界から見たらゲテモノ扱いされてしまいます。「卵かけごはんが食べられない人生なんて、紅しょうがのない吉野家だ」という信念を持っている僕からすると、日本で生まれたことが最上の喜びです。
「嫌いなものは嫌い」という話で思い出したのは、写真に撮られるのが嫌いという中学3年生のときのクラスメイトです。修学旅行の集合写真を撮るのに、彼は最後列に立ち、少しでも写らないように努力していました。
ただ、あまりにも映らなすぎると先生から「ちゃんと全員写らんと終わらんぞ!」という発言によりエンドレスになってしまうので、多少、映ってしまうのは我慢したみたいです。
やっぱり、個人個人の権利が保護されるべきであるならば、「たばこの煙が嫌だ!」っていう人の権利を保護するのと同じように、マジョリティーかマイノリティーかに関わらず、何らかの形で保護をしていく必要があるのだと思います。
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まとめ
まあ、仕方のないものは仕方ない部分もあると思うんです。僕もどちらかというと「子どもの声ぐらい我慢してほしいな」って思う派ではありますし、子どもが元気に育っていくのが大事だと思っているので。子どもに声を出すのを我慢させるのもなかなか難しいですし。
ただ、一方で個人個人の思想・嗜好・好き嫌いそのものは批難されるべき対象ではないですし、そういう「子どもの声が嫌いなんてどうかしてるぜ!」的態度で接すると、余計に確執を生んでしまうことになるんだろうなって感じました。
騒音文化論―なぜ日本の街はこんなにうるさいのか (講談社プラスアルファ文庫)
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