雨の中、傘をささずに踊る人間がいてもいい。

体は社会人、心は自由人。三十路間近のネコ好き。日記や日々考えたこと、社会問題、ときどきサッカー。

【感想】カッコウの卵は誰のもの(東野圭吾)

今回はガリレオシリーズでおなじみの東野圭吾さんの「カッコウの卵は誰のもの」を読んだ感想を書いていきます。 

カッコウの卵は誰のもの (光文社文庫)

カッコウの卵は誰のもの (光文社文庫)

 

内容(「BOOK」データベースより) 

往年のトップスキーヤー緋田宏昌は、妻の死を機に驚くべきことを知る。一人娘の風美は彼の実の娘ではなかったのだ。苦悩しつつも愛情を注いだ娘は、彼をも凌ぐスキーヤーに成長した。そんな二人の前に才能と遺伝子の関係を研究する科学者が現れる。彼への協力を拒みつつ、娘の出生の秘密を探ろうとする緋田。そんな中、風美の大会出場を妨害する脅迫者が現れる―。

 

 

カッコウの托卵とは

今回の作品はタイトルにもあるように、カッコウの托卵(たくらん)をモチーフにして作られています。

matome.naver.jp

「知らないあいだに他人の子どもを育てさせられる」ということですね。

これはダイレクトに「子どものすり替え」という意味も当然含んでいますし、今作品においては「知らない間に自分に埋め込まれているもの」というものも表現しています。

 

僕たちとDNA

僕たち生き物はみんなDNAから構成されています。DNAからは誰も逃れることはできないですし、「こういう才能がほしい」といって得られるものでもありません。

自分に何らかの才能があったとしても、それが望んだ未来でなかった場合、人はどのような選択をすべきなんでしょうか。

運動神経が良いからといって運動が好きだとは限りません。もしかしたら、クラスのエースはバンドがしたいのかもしれないですし、絵が描きたいのかもしれません。

 

僕たちの親

「僕たちはDNAからは逃れられない」と書きましたが、親からも逃れられませんよね。

「親離れ」というか、思春期を通して親から自立するという意味では逃れられますが、僕たちの人格形成に生まれ育った環境が影響するのは確かですし、そういう意味で育ってきた環境(=親)もDNAレベルで僕たちの心や体に刻み込まれていると言っても過言ではありません。

僕はこの部分にすごく頭を悩ませんているんですよね。

秋葉原にトラックで突っ込んだ加藤被告は、母親に厳しく育てられたと聞きました。「人格が歪んでしまっても仕方ない」と感じるぐらい。

殺人などが許されるかどうかという話ではなく、加藤被告をどう罰するのが正しくて、また、加藤被告の人生とはいったい何なのであろうということです。

 

(スポンサーリンク)

 

 

小説の感想

ようやく小説の感想に入ります(笑)

ミステリー部分は可もなく不可もなく。まあ、予想通りといえばそうですが、それを解き明かしていく過程はおもしろかったです。

メインストーリーについては、どうなんだろう。最後の展開はお約束ではないんだろうなって思うんですが、ここはお約束を守ってベタな展開を期待した自分がいました。 

 

人が死ぬっていう話ではないので、かるーく読みたい人におすすめです。