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雨の中、傘をささずに踊る人間がいてもいい。

体は社会人、心は自由人。三十路間近のネコ好き。日記や日々考えたこと、社会問題、ときどきサッカー。

『サイバーズ・ギルト』とは何か。「黙祷なう」とつぶやく人も被害者である。

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僕がずっと疑問に思っていたことがあります。

それが、東日本震災後、いろんな人が「東北を支援しないと!」とか「原発反対!」とか声高に叫ぶようになったことです。

タイトルに入れたように「黙祷なう」ってつぶやく人もたくさんいますよね。

 

 

そして、3月11日には震災について語らないといけないような雰囲気があったり。そういうことはあくまでも各々の自主性に委ねられるべきであり、どれだけ力を使うかも人それぞれであるべきです。どのような発言をするかも自由ですし、どのような考え方をしていても自由です。

募金をするかどうか、支援物資を送るかどうかなんかもそれぞれの事情に合わせて、それぞれの考えのもとに選択をするはずなのに、どこかそういうのを強要する雰囲気を感じます。

 

僕はそういう雰囲気がすごく苦手です。

と同時に「みんな、なんでいきなりこうなってしまったのだろう」と疑問に思っています。

 

サバイバーズ・ギルトとは

この疑問に答えを出してくれたのがこの記事でした。


「生き残ることは罪なのか」というけっこう衝撃的なタイトルの記事なんですが、その中で、「サバイバーズ・ギルト」という概念が出てきます。

森本あんり師によれば、「サバイバーズ・ギルト」とは、戦争や大きな災害のような、生命にかかわる苦難を生き延びた人間が、危機を乗り切った後に抱く罪悪感に似た感情を指す言葉

 私たちは、この4年間、多かれ少なかれ、サバイバーズ・ギルトを味わっているのだと思う。

 実際に津波に直面して、それをくぐりぬけていなくても、震災で亡くなった人々に対して罪悪感を抱いている人は少なくない。

 東京や大阪に住んでいて、震災の被害とはほとんど無縁だった人の中にも、「生き残ったことの居心地の悪さ」や「被災地へのうしろめたさ」を感じて、その罪悪感から、震災以後の生き方をあらためている人がいる。

僕たち日本人は、同じ日本人として東日本大震災で被害を受けた人たちの痛みを感じるとともに、生き残って今ものうのうと生き続けていることに罪悪感を感じているということです。 

僕の中でももちろんそういう気持ちはありました。しかし、「なぜこんなもやもやした気持ちになるのだろう」と、その原因も分かりませんでしたし、自分でも掴むことができない感覚でした。

 

罪悪感から逃れるために

それと同時に分かったのは、「黙祷なう」とつぶやく人たちも、このサバイバーズ・ギルトに苦しめられ、それから逃れるためにつぶやいているのだということです。

 

黙祷というのは、黙って心の中で死者に対して祈ることです。

そして、それを行うとき、行っているときにtwitterをするというのは理解できませんでした。死者を思うのであれば、雑念を捨てて、真摯に死者と向き合うほうがいいに決まっています。

 

しかし、彼らが行っているのは「黙祷なう」とつぶやくことを通じて、罪悪感から逃れているのだということです。

「逃れる」という言い方をすると批判しているように聞こえますが、そういう方々を批判するつもりはありません。なぜなら、彼らもある意味では震災の被害者だからです。

 

まとめ

ネットでも僕のような考え方をしている人は多くいます。「黙祷なう」とつぶやくことを批判している人たちです。

 

確かに、震災で直接、被害を受けた方々は命を落とし、もしくは今でも仮設住宅で暮らしています。そうでなくとも震災以前の生活に戻ることができない方も多くいます。

しかし、被害を受けていない僕たちも、その罪悪感ゆえに心に負担を感じているということです。

そして、感受性豊かな人が「黙祷なう」とつぶやくことで、その強い罪悪感を和らげようとしているのです。「黙祷なう」とつぶやいている人もある意味では被害者なのです

黙祷の時間 (新潮クレスト・ブックス)

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