勝負はルールを作るところから始まっている。所沢市の住民投票に思うこと。
埼玉県所沢市で、自衛隊の基地に近い小中学校に、エアコンを設置するかどうかについて住民投票が行われました。
これについては「すでに決定していたことを市長が独断で覆した」とか「エアコンぐらい、小中学校に設置して当然なのに、なぜ住民投票まで至ったのか」などの意見が出されていますが、僕はちょっと違った視点から見ていきたいと思います。
今日のテーマは「勝負はルールを作るところから始まっている」です。
今回のルールはどんなものだったか
今回は、住民投票というものを使って、「エアコン設置派VS設置しない派」が戦いを繰り広げました。その勝ち負けのルールは以下の条文に表れています。
所沢市防音校舎の除湿工事(冷房工事)の計画的な実施に関する住民投票条例 ※抜粋
第11条 市長および市議会は住民投票の結果を尊重しなければならない。 この場合において、 投票した者の賛否いずれか過半数の結果が投票資格者総数の3分の1以上に達したときは、その結果の重みを斟酌(しんしゃく)しなければならない。
エアコン設置派敗因①:ルールが曖昧すぎる
上記条例を見ていただいても分かるように、ルールが曖昧なんです。どうなればエアコンを設置し、どうなれば設置しないのか。これが一目見て分からなくなっています。もっとも分かりにくいのが
市長および市議会は住民投票の結果を尊重しなければならない。
の文の扱いです。
「この場合において」以降は、「投票した者の賛否いずれか過半数の結果が投票資格者総数の3分の1以上に達した」という条件を満たした場合の決着方法を記載しており、ある程度は明確です。
(「斟酌」というのが少しはっきりしませんが、それでも賛成票が反対票を上回りかつそれが総数の3分の1以上であれば、設置派の勝ちでいいでしょう。)
しかし、そうでなかった場合の扱いが明記されていません。「結果を尊重しなければならない」というのは、「賛成票のほうが反対票より多かった」ことを尊重すればいいのか、「3分の1以上に届かなかったのだから、設置すべきとはいえない」ということを尊重すればいいのか。
曖昧であるということは、権力を持っている側のいいように解釈される可能性があるということなので、この点は失敗だったんじゃないかなって考えています。
また、賛成派住民の方が会見で以下のように述べているそうです。
住民投票条例をつくる運動を進めた賛成派の住民らも記者会見。大原隆広さん(44)は「賛成票が、4年前に藤本市長が初当選したときの得票(3万8655票)を大きく上回った。価値ある数字だ。誠意ある対応をとってほしい」と述べ、エアコン設置を多数の民意として尊重するよう求めた。
とのことですが、もしそう考えるのであれば、それをなんとか条例に反映させるべきだったと思います。ここでどれだけ「市長が得た票数より多いのであるから、価値のある数字だ」と述べたところで場外乱闘でしかありません、悲しいですが。
エアコン設置派敗因②:全有権者数の3分の1というハードル設置
そもそも市長選でさえ低い投票率であるにも関わらず、「小中学校のエアコン設置」という全員に関わるわけではない問題を住民投票したとしても、「全有権者数の3分の1が賛成に投票する」という状況はなかなか想定できません。
「子育てに無関心なのはダメだ!」と言う人もいらっしゃいますが、日本全体において「投票」という行為への関心が高くない以上、ある程度は仕方のない部分もあります。
また、子どもを育てていない世代(20代、もしくは50~70代)の方々がどれだけの関心を持てるかというのも疑問が残ります。
投票というのは「義務だから行くんだ」とか「関心を持たないなんておかしい」という、お尻を叩くようなことをしても、あまり意味がないと思います。
ゆえに、この「全有権者の3分の1に、賛成票を投じてもらうために投票に行ってもらう」という条件ができた時点で、勝負は厳しくなったと言わざるを得ません。
エアコン設置派が勝つためにはルール作りから勝負をすべきだった
日本人は、「ルールは自分たちの手で作るものである」というより、「ルールは守るものである」という発想が強いようです。一方、欧米人はルールを作る側に回ることを心がけるようですね。
仕事でもよく遭遇しますが、日本人は一般的にルールを順守しようとしてルールにそう書いてあればそれは守るものとして前提で案を検討します。これを外国人の上司に持っていくと「誰がOKと言えば、そのルールは変えられるのか?俺が掛け合うぞ」、とルールを変える提案が出てくることもあります。
日本人は、「ルールはお上がつくるもの。自分たちは粛々と従えばいい」と思っている。ルールを変更することは、「フェアではない」とすら感じているのではないだろうか。しかし、それでは「ルールは随時変えるもの」というスタンスの欧米人には太刀打ちできない。
上で述べたように、小中学校のエアコン設置という、市民全体への影響が小さい問題に対して、「3分の1ルール」を設けられたのが最大の敗因です。
もしも条例が
第11条 市長および市議会は住民投票の結果、賛否いずれか上回ったほうの意見を尊重しなければならない
という条文であったならば、エアコンは設置されていたでしょう。
まとめ
勝負はルールを作るところから始まっている、ということです。
今回、3分の1には届かなかったけれど、市長選のときに市長が得た票数よりは多かったようです。上では「場外乱闘」などと失礼なことを書きましたが、やはり「勝負に勝って、試合に負けた」感が強いですね。
本当に正しい意見でも、本当に多数派でも、ルールに敗れることもあります。
みなさんも「勝負に勝って、試合に負けた」とはならないよう、意識してみてください。
今日はこんなところでーす。でわでわー。
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